Franzの音楽にまみれた生活

Franzに音楽をください

ベートーヴェンのピアノソナタを聴こう 〜ヤンドー編〜

お久しぶりです、Franzです。今日は風邪の悪化の為、仕事はお休みを頂いて家でゆっくりしています。嗚呼、我が身の脆弱さよ。


そんな脆弱野郎が今日聴いてる音楽はこれだ!(謎テンション)  NAXOSレーベルが誇るピアニスト イェネ・ヤンドーによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集↓


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イェネ(イェネー)・ヤンドー(Jenő Jandó)氏はハンガリー出身のピアニスト。ハンガリーの名前表記は日本のそれと同じだから、姓名となるので本来ならヤンドー・イェネーとなるのだが、名姓の呼び方の方が有名なのでここではイェネ・ヤンドーで統一する。

彼はNAXOS(ナクソス)レーベルが設立した初期からこのNAXOSに録音を残している、言わばお抱えピアニストだ。NAXOSと言えば、最近増えている「激安レーベル」の最古参であり、また、無名の作曲家の発掘などにも尽力しているレーベルであり、僕もいつもお世話になっている。彼はベートーヴェンの他にも、ハイドンモーツァルトのピアノ・ソナタ全集やバッハの平均律クラヴィーア曲集、リストの主要作品をいくつか、更にはバルトークのピアノ作品を網羅するなどしていて、CDの数を挙げるとキリがない。僕自身ファンでありながら、その全てを未だ集めきれていないのが現状。早く全てを集めたいところ。


しかし、こういう演奏家によくある批判の一つとして、「全集を作るのは良いが、下手、雑である」というものがある。ヤンドー氏の演奏もまた、そのような批判をされやすい。事実、もっと細部を磨けたのでは?と思う演奏もあるのは、僕も思うところ。まあ、どんな演奏家にもそれは言える事なので、別にヤンドー氏に限った事ではないのだが。


いやしかし、これが素晴らしい演奏なんですね。真っ直ぐで、余計なものが全く付け足されていない、誠実なベートーヴェン。「革命家」「耳の病で悩める音楽家」といったものは、ここでは見られない。「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」という作曲家が創り出した音楽を、ただ純粋に弾いているイメージ。

ヤンドー氏の演奏の特徴として「譜面の通りに弾く」というものがある。例えば、「ここはあえてフォルテではなくピアニッシモで…」「この曲のこの一瞬の弱音に万感の思いを込める…」「打鍵やタッチに込められた無限のニュアンス、グラデーションをどこまでも追求する…」という姿勢はさほど見られない。「深い精神性」という言葉が常に付いて歩く後期のピアノ・ソナタの演奏は、少しあっさりしている感は確かにある。一つ一つの曲を見れば、ヤンドー氏よりも細部に磨きをかけて凝った演奏があるのも事実。しかし、しかし…聴いていて、「良いなあ、この曲」としみじみ思う演奏なのだ、僕にとって。例えば有名な『悲愴』は、ロマンティック過ぎない語り口のおかげで嫌味にならないし、『熱情』最終楽章の一番最後、Prestoになる所では、一気呵成に驀進する。あまり有名でない初期の作品や中期の地味なナンバーも、見事に軽やかに、過不足なく演奏している。余計な事をしていない事の美…ふとした時に、「あ、今日はベートーヴェンを聴きたいな」と思った時に、すっと手が伸びるのが、このヤンドー氏の録音なのである。勿論、これからベートーヴェンのピアノ・ソナタを聴いてみたくて…という向きにも十分お勧め出来る。今ではあまり見当たらない全集だが、バラでならオンラインショップ等で取り扱っているので、是非購入をお勧めしたいです。


最後に…僕はヤンドー氏の大ファンである。その為、「褒めすぎだ」とか「公平に評価していない」とか言われそうだが、先ほども軽く述べたように微妙に感じる録音もあるので、盲信的なファンでない事だけは記しておく(例えばバラキレフの『イスラメイ』 あれに関してはベレゾフスキーやムストネン、ラン・ラン、プレトニョフ、F. ケンプ、福間洸太朗氏の録音をお勧めしたい。) 


「ヤンドー編」とあるくらいなので、今後もベートーヴェンのピアノ・ソナタ演奏に関しては、色々な演奏家を紹介していく予定です。風邪で身体は倦怠感MAXだが、こういう疲れている時に聴くベートーヴェンも良いものだなぁと、考えを改めた日であった。そして、ますますイェネ・ヤンドーの演奏が好きになった日でもあった。これからも付いていきます師匠!(雑に締め)