ヘタウマなショパン
イディル・ビレットは、以前紹介したイェネ・ヤンドーと同じNAXOSレーベルに、ヤンドーと同じく初期の頃から録音を残しているピアニスト。ベートーヴェンのピアノソナタ全集、リストやシューマン、ブラームスの諸作品を残し、更にはブーレーズが遺した3曲のピアノソナタ全てやリゲティの練習曲、珍しいところでいうならアルカンの『鉄道』やマスネのピアノ協奏曲、師匠であるヴィルヘルム・ケンプのピアノソナタ(!)なんかも録音していて…凄まじいものがある。なんだけど、前々から聴いていたヤンドーと違って、僕が聴き始めたのは1ヶ月前とかそんなもん。本当に全く聴いてこなかった。その理由は、ビレットの演奏に対しての良い評価をほとんど見た事がなかったから。自信持って購入に踏み込めなかったんですな。ヘタレである。
超絶技巧の持ち主のピアニストや、あるいは技巧が安定しているピアニストと言ったら誰になるだろう。例えばマルカンドレ・アムランやオッリ・ムストネン、スティーヴン・オズボーン、ポール・ルイス等になるんでしょうか(まだたくさんいるけどね)。その辺りと較べると一目瞭然で、テクニックが洗練されている訳ではなくむしろごつごつしている感じで、洗練や流麗という言葉とは、正直言って、かけ離れている。「お…おお…だ、大丈夫か…?おお…あ、ちょっと……おお…」という感じになるような危なげな(?)演奏もあるにはある。
しかし、虚心坦懐に聴いてみると、中々良いピアニストだと思った。例えば練習曲集。op.10の有名な冒頭のハ長調や2番イ短調は、かなり弾きにくそう。だけど、左手を強調してみたり、最後の音の左手をオクターヴ下げてみたりして、彼女なりの表現を行っている。次の3番ホ長調…あまりにも有名な「別れの曲」では、溺れ過ぎない味わい深い演奏をしている。ここで、カンタービレ的なテクニックは高い事が分かります。良い演奏だ。4番嬰ハ短調は…やはり弾きにくそうだが、声部を浮き立たせてみたり、音を短く処理してみたりして、なんだこれは面白いぞ、と思わせられてしまった。そう、先ほど言った「ごつごつした感じ」が、逆に面白いアゴーギク、グルーヴ感を作り出しているのかな、と思った。決してテクニックが上手い人ではない。だけど、悪くない。大好きなピアノソナタ第1〜3番も難しい作品ながらもかなり健闘しているし、なによりも輝かしいタッチが素晴らしい!バラードやスケルツォも、その独特なごつごつ感が相まって、逆に新鮮に聞こえる。ノクターンだって、とてもよく歌っている。装飾音の扱い方が現代の解釈と違うのはご愛嬌だけれど。良いね、良いよ。気に入ったよビレット氏。
確かに、確実なテクニックを持って弾いたショパンではないかもしれない。はっきり言ってしまって技術的に未熟なのかもしれない。しかし、独特な魅力があるのも事実かな、と思って今回取り上げてみました。
実は、ショパンの全集録音って、意外と少ない。僕が知らないだけかもしれないが、思い付くものでコルトー、フランソワ、ルービンシュタイン、マガロフ、シェバノワ、アシュケナージ、オールソン、そしてこのビレットのものくらいしか思い付かない。この人たちの中にビレットの名前があるのは、なんだか面白いなあって思う(馬鹿にしている訳じゃないよ!)。もっとビレットの録音、集めてみようかな、と思った土曜でした。